Tree`s Garden -Riyoko Kisaki-

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Tripnote

コラム

“生きた証”のゆく先は

8月16日、Twitter社によるアカウント整理が行われ多くの利用者が平均30フォロワーを失ったという。朝起きたらごそっとフォロワーが減っていて驚いた人も多いだろう。

前回のTwitter社の一斉凍結の際には何も影響がなかった私だが、今回メインで使っている方が15人前後いなくなった。

趣味のアカウントの方はその時ハマっているジャンルによって変動するのでフォロワー数はあまり意識せずにやっているのだが(もちろん、フォローいただいているのはとっても嬉しいです!ありがとうございます!(*^人^*))、流れてくる色々な情報を見て「これは…」とショックを受けた。

前回はスパムや広告bot、ヘイトスピーチを繰り返すアカウントに対して“凍結”という行為が行われたようだが、今回は前回とは少し違ったようだ。

それは「何年も放置されているアカウント」いわゆる「死にアカ」が結構削除されている、ということだ。

私がショックだった点はここにある。

メインで使っているTwitterを始めた一番の目的は、趣味などで盛り上がれる同志と繋がるためだった。

8年程前から始めた私には、様々なジャンルで繋がって何かあれば一緒に盛り上がったり、Twitterがきっかけでできた友人、飲み仲間もたくさんいる。

ロケットの打ち上げ時には集まって実況を見たり、好きなドラマやアニメで感想を言い合ってみたり、そういう「ワッと集まってワイワイしてサッと自分の生活に戻っていく」みたいなものも楽しみの一つだ。
物理的な距離があっても「今度○○に旅行にいくけどオススメあります?」「あ、じゃあ地元だからアテンドするよ!」なんてことまで実現した。

濃い繋がりも緩やかな繋がりも、会ったこともどこのだれかすらわからない方も、8年間「今日も元気そうだな!」と一方的に(或いは相手も)「お、今日もこんにちはー!」という関係がある。

それだけ“生活の一部”になっていた。

そして8年も使っていると、繋がっている誰かの人生に立ち会う。
結婚や出産、子どもの成長を見ることもあれば、訃報を知ることもあった。

8年前は2010年。まだ東日本大震災が起こる前だった。
今、更新されることのなくなったTwitterアカウントの中には、病気や震災で亡くなってしまった方もいるのだ。

もう更新されることはないアカウントでも、その人の発言やその人と交わした言葉やメールは残り続ける――。
例えもう更新されることはなくとも、時折その人のTwitterホームにお邪魔し、当時のやりとりを想い出したりする。

それが、もうできなくなるのだろうか。

減ったアカウントの中には、発言のプラットフォームを他のサービスに移したり、例えば作品の放送期間にのみ作り放送が終了したのでアカウントだけ残している方もいるのだろう。
けれど病気や震災で亡くなり、二度と続きが発信されないアカウントも存在している。

放置されたアカウントは、今度どんどん削除対象になっていくのだろうか。
今はまだ繋がれている方のアカウントは、いつかのタイミングで失われてしまうのだろうか。

その人が確かに生きてきた証は、あっさりと消えてしまうのだろうか。

Twitterはユーザーが無料で使うことのできるサービスなので、増え続けるアカウントや膨大なツイート量でサーバに負荷がかかり赤字の原因となっているのなら、放置アカウントは削除していくのは当然といえば当然だろう。

けれども半永久的と思われたインターネットの海に流された言葉の数々が何の痕跡もなくなっていくのは、あまりにも悲しいものがある。

その人が綴った日々や、感情は、生きた証はどこへゆくのだろう。

本名も住所も知らない、だけど確かに知っていた方のアカウントが消えて何年か経った時、何を綴っていたのかもおぼろげになってしまう日がきてしまうのだろうか。

「その人の生きた証がなくなる」ことが悲しい。

サービスもネットもデータも永遠はないのだ、と再認識する。
形の残らないものを「忘れない」ことはとても難しい。

アカウントがまだあるうちに、その方の痕跡を少しでも保存しておこうと思う。

日本では今やライフラインにもなっているTwitter。
赤字が大きな問題であれば、月額制や一部有料化、寄付制度も考えていただけたらありがたいです。