Tree`s Garden -Riyoko Kisaki-

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Tripnote

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コラム その他

「写真」。一瞬を永遠にするもの。

投稿日 2018-07-23 / 最終更新日 2021-01-03

ずっと自分の写真を撮られることが大キライだった。

我が家は写真という写真を撮らない家庭だった。私は生まれた時の自分の顔や幼少期の顔を知らないし、10代の頃の自分は卒業アルバムの集合写真と出席順の写真に居るくらいである。

親にも周囲にも「ブス」と言われ続けていたので「どうせ私はブスだから(写りたくない)」という呪いのようなものもあったかもしれない。

とはいえ当時カメラは高価で、インスタントカメラも撮れる枚数が限られており写真屋さんへ持って行き現像しないと見ることが出来ない。
今みたいにスマートフォンで気軽に撮れる&撮ったものを見られるような時代ではなかったので、お金のない我が家には実際経済的に難しかった面もあったかも、とは思う。

そんなこともあり、私は「撮られ慣れていない」「自分を撮ってもらう習慣がない」まま歳を重ねる

友人も付き合ってきた恋人たちも写真を撮る習慣があまりない人たちだったようで(もしかしたら私が「撮ろう」と言わなかったからそのままきているのかもしれないけれど)、そういえば誰かと一緒に写った写真はほぼ無い。
夫との写真も結婚式と新婚旅行で数枚あるくらいで、20代の頃の写真も殆どなかった。

ちなみに人物ではなく風景や料理を撮ることは大好きで、それらの写真を見ると『その時楽しかった思い出が(誰と一緒だったかまで)鮮やかに蘇る』し、スマートフォンになってからは“何年何月何日何時の場所はどこの写真です”まで残るので、自分の思い出作りに困ったと感じたことがなかった。

みんななんでそんなに誰かと(或いは自分の)写真を撮りたがるんだろう、写りたがるんだろうと不思議に思っていた。

そんな私だったが、少しだけ変化が訪れる。
スタジオで「見られる」ことなく声だけの仕事をしていた私が、ご縁があり劇団の一員としてお客さんの前で演技をすることになり、撮ったり撮られたりすることが増えたのだ。
これはもう、嫌いだとか何故とかうまく写れないなどと頭で考えこんでいる場合ではなかった。

声だけといえど演者の端くれである。私自身も役が入るとスイッチが入るらしく、意識が“そう”なり自分の中では初期の頃もそれなりに写れていたように思うし、どのシーンでも自分の表情に納得がいっている。

オフ会への参加も増え、徐々に写真を撮られることが多くなってきた。しかし“素”で撮る写真はその時の自分の感情とかけ離れており、他の方々の素晴らしい笑顔と自分の表情の差に「ウウウウーン」と唸っていた。

写真の中に、つまらなそうな、ムスッとした顔をしている自分がいる。
「あれ、良い時間じゃなかったっけ…?」と不安に感じてしまう。

結局のところ、撮られ慣れていない写り慣れていないから、自分自身を撮ってもらう時にどういう表情をすればいいのか、どう“立って”いればいいのか頭で考えてしまい、よくわからない状態になってしまっていたのだ。

きっとそのとき私が抱いていたであろう感情通りの顔をしていないから、できていないから、「写真に写るのが嫌い」「苦手」が継続していた。

あ、そうか、ときた瞬間。

先日、写真家の安珠さん、細野晴臣さん、松本隆さんのトークショーという超プレミアイベントにお誘いいただきお伺いしてきた。

左から、細野さん、安珠さん、松本さん。トークショーの最後に、撮ってSNSにあげてね!と撮らせていただいた写真。サービス精神が凄いです。会場、沸いておりました!

20代の頃からずっと付き合いがあるというお三方のトークは、流石長年第一線で活躍され続けている方々という感じで、ゆるっとしつつも一言一言に力がある

重い、とも深い、ともちょっと違う、サバイブされてきた方々ならではの説得力だった。仕事への信念や、息の抜き方、そんなものも端々に感じ、人生の『余白』の大切さを改めて感じた。

トーク中、安珠さんが制作された映像がいくつか流れたのだが、その中には今とはまったく違う渋谷の風景が閉じ込められていた。

今とはまったく違うのに、見知った渋谷がそこにある

あの建物は今あれになっているよね、とか、上京したばかりの頃はあの歩道橋がまだあって私もここをよく通っていたな、なんて思いながら、お三方が話す当時のお話を聞いていた。

今回のトークショーの主役であり写真展を開催中の安珠さんは、パリでモデルとして活躍され、その途中で写真家への道を歩き始めた方。

――なぜ写真家になったか。
会場から出たその質問に、

写真は「一瞬を永遠にする」ことに気付いたから

だという。

「写真が自分の命よりも長く生きると気づいた。」

なんて素敵なんだろう、と思った。

一瞬を永遠に。
テレビCMや広告で使われてきたフレーズだが、その話を聞いて、昔の渋谷の映像を見て、写真展を拝見して、初めて「そうか」と実感した。
歴史の人物や知っている町の昔の写真を見て「確かにここに居た、在った」と感じるものがあるように、自分を、自分にとっての場所や誰かとの時間をその一枚に永遠にすることなんだ、と。

安珠さんの写真や映像は“仕事”でもあり“作品”でもあるので、一枚に永遠を込める為のすべての準備や世界の切り取り方がまったく違うだろうが、その中で誰かや何かが永遠となっているのは同じだ。

こうして改めて書いてみるとなんだか詩的になってしまうけれど、毎日生まれ変わっていく街の風景や、流れて溢れていく情報の中に過ぎ去り溺れていく経験や、明日には会えなくなってしまうかもしれない誰かとの時間。

「自分だけが想い出せればいい」だけのものではなく、一緒に過ごした人にとっても『その時』を想い出せるものになる
その背景に写る景色が、未来の誰かが「見てみたい」と思った“昔の景色”になるのかもしれない。

これからもまだ日々歳を重ね、歳を取っていく。
もし今のまま誰かとの時間を納めずに過ごしていって、自分が物事をあまり記憶できなくなった頃に「確かにあった誰かとの時間」を想い出せるものが何もなかったら、私は後悔するかもしれない

写真を撮りたい。
そう思うときは、きっと楽しい瞬間だから。

「演者」として撮られる、SNSにアップする、を目的としている場合は、こう、「撮られてもいい立ち居振る舞い」「いい表情」をもっと意識していかなくてはいけないと思うが(何故ならそりゃ少しでも綺麗に写っていた方がいいに決まっていますからね・笑!)オフショットなんか「良く写ろう」なんて意識しなくていいのかもしれない。

だって「その時を写真に残したい」と思う時って、基本的に楽しい時ですもんね。わざわざ怒ったり泣いたりしている時に「じゃ、今写真撮ろっかー」なんてことにはならないですもん。

「楽しそうに嬉しそうに“写ろうと頭で考えている私」ではなくて、「本当に楽しい・嬉しい私」を残したい。
「うつり」よりもその感情が残せれば、いい。

そうして「写ること」を重ねていくことで、「うわぁ撮られる~」と身構えた自分じゃなく、「いやぁ楽しい時間だね!」と自然な表情ができる自分になっていくのかもしれない。

未来の自分と自分たちへ『今この瞬間』を残したいな、残そう、と思う。

未来の私、夫、友人たち。そして一緒に撮ろうよ!撮りたい!と言ってくれた人たちにとっても「楽しそうな顔してるなあ~」「あー懐かしいね」「この時本当に楽しかったね」と想い出せるような『一瞬』になれたらいいな、と思う。

永遠にしたくなるその一瞬は、きっと「楽しい・嬉しい」時間なのだろうから。

安珠さんの写真展「ビューティフル トゥモロウ ~少年少女の世界~」は品川のキャノンギャラリーで開催中です!
ぜひ、安珠さんの“永遠”を感じてみてください。

【安珠 写真展:ビューティフル トゥモロウ ~少年少女の世界~】
2018年7月11日(水)~8月28日(火) 
住所 東京都港区港南2-16-6 キヤノン S タワー キヤノンギャラリー S
アクセス
JR「品川」駅港南口方面徒歩約8分 / 京浜急行「品川」駅徒歩約10分
開館時間 10時~17時30分 / 日・祝日 休館 / 入場無料

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※ただし、過去も何度か勝手に投稿されたので付け加えさせていただきますが、私は仕事・演劇・イベント等で予め投稿します・投稿OKという場合を除いてインターネットに自分の写真がアップされることは非常に抵抗があります。
撮られること・撮ることと、インターネットに投稿することは別ものなので、無断投稿はしないでください。なお、投稿の際は顔を加工していただきますようお願いいたしますm(_ _)m