Tree`s Garden -Riyoko Kisaki-

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コラム その他

終戦の日によせて~甲子園と戦争~

投稿日 2018-08-15 / 最終更新日 2021-01-03

本記事は舞台『野球~飛行機雲のホームラン~』のネタバレを含んでおります。

甲子園第100回記念大会が開幕し、連日熱い試合を繰り広げている。
そして広島、長崎に原爆が投下された日を過ぎ、本日終戦の日を迎えた。

先日野球~飛行機雲のホームラン~という舞台を観た。
大変衝撃的だったが本当に素晴らしい作品で、甲子園開幕の日にこの作品を観られたことを幸せに思う。

舞台「野球」飛行機雲のホームラン オフィシャルホームページ

甲子園は今年が100回の記念大会だが、実際は103回目にあたる。太平洋戦争で中止となった期間が3年間あるそうだ。

球児たちが目指していた“甲子園”が戦争によって中止となってしまい、明日には特攻兵として出撃しなくてはならない。
出撃したが最後、生きて帰ってくることはできない。
最後に皆で野球をしたいと願い、たった一度きりの試合をする…そんな物語だ。


最近、太平洋戦争についての話を同年代の友人たちとよく語るようになった。
私達の祖父母世代は戦争を体験しており、その体験を直接聞くことができる・できた最後の世代だからだと思う。そして、祖父母たちも年月が経ち、ようやくその体験を口にできるようになったから――だと思う。

そうして話を聞いていくと、教科書や戦争を題材にした作品だけでは知ることのなかったものごとがたくさん出てくる。
昨年映画が大きく話題となり現在ドラマ放送中の『この世界の片隅に』もそうだが、原爆や特攻以外に起こっていた出来事も、色々と知ったり想像したりするようになった。

この『野球~飛行機雲のホームラン~』もその一つである。

今年の甲子園が第何回大会かということを気にしたことがなかったので、中止になった期間が存在したことを私は知らなかった(考えれば当然なのだが)。

また100回記念大会ということで深夜に甲子園の歴史といった番組も放送されているのだが、舞台で観たそのままの悲劇や出来事は、確かにあったのだった。

野球は敵国球技であること。
セーフやアウトは敵性言葉なので、日本語に直して使うこと。
兵士に交代はないので、例えデッドボールを受けても交代しないこと。

ええっ、なんてバカバカしいんだろう。
この舞台の時代の数年前には米国と交流して野球大会をしているし、甲子園も続いていた。
「敵国球技」だから野球を止め、「敵性言葉だから」日本語に直したところで、戦争に勝てる訳でもその本質が変わる訳でもない。

だが野球をしたり「敵性言葉」を口にすれば軍服を着た大人たちが怒鳴り、殴る。非国民だと言われる。
数年前まで目指すことができた筈の「甲子園」はないのだ。
戦地へ行けという絶対的な命令の赤紙が届けば、万歳と喜ばなくてはいけない。

少年たちは特攻隊に行くことになる。生きては還れない。
誰もがそのことをわかっていた。

それでも、最後に試合がしたい。勝負がしたい。

そんな願いを叶えるべく、野球少年を弟に持つ女性元新聞記者、そして彼らの教師が力一杯に軍部に掛け合う。それは命懸けの行為だった。

「野球をやらせてあげてください」

もう二度と甲子園への夢を抱くことのできない彼らのために――。

観客が最初から観ていた、楽しそうな少年たちの「野球」は、明日特攻で命を落とす少年たちの最期の一試合だった。

一回の表裏ごとに交錯していく彼らの過去や想いや決意。叶うことがないとわかっている夢、憧れ。
少年たちに親しまれ、穏やかに楽しそうに寄り添っていた先生は、この試合の時には既に彼らにしか見えない存在となっていた。

先生は少年たちの願いを叶えるため、軍部に掛け合った後命を絶っていたのである。

「野球をやらせてあげてください」

そんな些細な願いでさえ、命と引き換えでなえれば願えなかった時代だった。

特攻で散る命、そして――最後に楽しそうに夢を語り、飛行機に憧れる少年たちで物語は幕を閉じる。


舞台は「体験」だ。
その空間がすべて物語になり、自分もその世界の一人となる。

ただ野球がやりたいと願い、楽しそうに、だが死への覚悟を持って、笑顔で過ごした少年たちの、最後の夏。
わかっていながら見守り見送り亡くなった大人たちの夏。

一言では片付けられない、片付けてはいけない、「確かに生きたであろう」人々の命と、表に出さなくてはいけない言葉と、表に出してはいけない感情。

8月25日、26日の梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ公演にもしご都合がつく方は、ぜひとも劇場で一緒に体験して欲しい。

舞台「野球」飛行機雲のホームラン オフィシャルホームページ

ちなみにこの舞台は桑田真澄さんが野球監修をされています。
舞台上で繰り広げられる「試合」のスピード感や捕球などのスピード感も本当に凄かったです!


これは戦時中の話だった。
しかし、観劇中感じた「バカバカしさ」も物言えぬ空気も、大人が子どもを力で征服しようとする様も、今の日本もあまり変わらないな、と思うものだった。

若い命が戦地で散ったことを、美化してはいけないのだと思う。
「死ぬこと」がわかりきった状態で「死にに行かせる」などとんでもなくおかしなことなのだ。
その命は、本来失われずに済む筈だった命なのだ。

「死ぬとわかって」誰が家族や友人を本心から喜んで送り出せるものか。

正しいとか正しくなかったとか、既に起こってしまった事実と戦争の勝ち負けに関してifを言っても起こってしまったことは変わらない。

学校では殆ど教えられることのない「なぜあそこまで悲惨なことになってしまったのか」を考え、何がそうさせてしまったのかを知らなくてはならない、と思う。
そここそが、「繰り返してはならない」大切な部分なのだと思う。

根性論や精神論で他人を、自分より弱いものを「支配」する時代は終わらなくてはいけないのだ。

ゆく先が“戦争”ではなくとも、私たちは「バカバカしさ」を「バカバカしい」と鼻で笑って放置せず、抗わなくてはならないのだと思った。

最後に。
戦争により命を落としたすべての皆様に黙とうを。
そして、戦争を体験されたすべての皆様が、出来る限り心穏やかな日々を送れますように。

お読みいただき、ありがとうございました。